俺が大学生やってる理由

「コンピュータが世界中に行き渡った現在、その処理方式・構成方式を理解し、最良に利用する技術を磨くことの意義ははかりしれない。この本では、最新の技術動向をふまえつつ、コンピュータアーキテクチャの基礎をしっかりと学ぶ。」

大学の授業で使う教科書に載っている一文である。これを読んでちょっと思うところがあった。

俺が大学生やってる理由

科学技術が多くのひとの生活を支えている現在、科学に対する理解を深め、それを最良に利用する技術を磨くことの意義は計り知れない。この考え方は、俺が学問をしている理由の一つの柱である。


俺には信念がある。上のコンピュータの例のように、科学技術は今の自分たちに不可欠な存在として生活を支えている。しかし、現代人は自分たちの生活を支えているはずの科学技術に対して非常に無頓着だ。例えば、原発問題でパニクったのも、なんら問題が解決していないのに何時の間にかパニックが収まったのも、この裏には現代人が科学技術に対して無頓着すぎるってことが挙げられると思う。メディアの情報に踊らされるだけで、自分が持つ知識を元に適切な行動を取ることが出来ていない。それに、必要な知識を自分で得ようとする素振りもない。現代人のこのような姿勢を常々問題だと思っていて、現代人の科学技術に対する意識を改革するということが俺の信念である。その意識改革のために必要な素養を身につけるために俺はわざわざ東京まで出てきて学生やってる訳だ。
そんな理由がなければ、わざわざ住み心地の良い金沢を離れて、東京なんかで慌ただしい生活を選ぶ訳などない。


高校2年の、進路を考える時期に悩んだ結果、自分の特性を考慮した上で自分の果たすべき役割がここにあると考えたため、上京を決意した。
自分の特性とは、好奇心が旺盛であることと、興味を持ったことについては飽きることなく追求できることである。これらに関しては人よりも勝っている自負があるし、これを才能と考えたときに、世の中にこの才能を還元すべきだと考えた。還元の手段として、様々な学問分野の知識を吸収し、現代人に必要な科学技術についての普遍的な知識を発信するということを選択した。しかも、ただ発信するだけではなくそういった知識を得る際に突き当たる、心理的な障壁と物理・環境的な障壁を取り払うためにはどうしたらいいかを考え、実際に行動していこうと考えた。好奇心と追求力がある上、現代人の科学技術に対する意識のあり方に問題を強く感じている自分だからこそできることだと思っている。

大学生の今は、こういった行動を起こす前の準備段階だと思っていて、そもそもひとに科学技術のあれこれを発信するのに必要な知識を吸収したりしている。

教育について

どうでもいいけど、最近の大学生ってなんで自分が大学生やってるか自覚してるのかな?俺は、現代人が科学技術に無頓着すぎるのと同じぐらい、このことも問題だと思っている。
自分の進学について深く考えないようなひとがもしも多いのなら、それが日本の教育の重大な問題点だと思う。


それはさておき、さっき述べた原発パニックの原因について考えるなら、この震災を機に教育の質を向上させるという点に着眼するひとがいてもいいと思う。自分の生活を支える科学技術は、何かの拍子に寝返って今の生活を壊すかもしれないということが原発問題を受けてわかったはず。だったら、そういった状況に対処できるぐらいの基本的な科学技術の知識と、必要に応じて知識を増強して、正しい行動を考え導き出す方法を、教育していく必要があるのではないか。


現代人が概して科学技術に疎い原因は、縦割りで科目を区切ってしまう従来の教育にあるような気もする。科目を区切った上で学生を理系・文系という枠、専門という枠に収めてしまうために、自分が得意でない分野は「専門外」として投げ出してしまっているような気もする。
必ずしも学問は縦割りしてしまえるわけではないと思うし、物事を総合的に考え、判断する素養を与えるための教育はもっと充実させるべきだと思う。
この点は最近流行りの「リベラルアーツ」っていうものとも関連してきていると思う。


リベラルアーツについて

では、リーダーにふさわしい人間を養成するためには、どのような学校を設立すればいいでしょうか?
そこでは、どのような教育を行えばいいでしょうか?
そうして出た答えが「リベラル・アーツ」でした。

その要点は、

・あらゆる問題を総合的に判断できる
・狭い視点にとらわれず、幅広い視野で議論し、決断できる
・説得力があり、多様な人々とコミュニケーションできる
・人格的に優れている
・体力的に優れている
……など、バランスがとれた人物の養成にあります。

http://www.wasedajuku.com/wasemaga/unipro-note/2009/06/post_451.html

・あらゆる問題を総合的に判断できて
・狭い視点にとらわれず、幅広い視野で議論し、決断できる
ことが、リーダーではない一般人にも必要だと思う。というのも、記事に即して説明するなら、アメリカ史黎明期には絶対的なリーダーと呼べる人物がいたかもしれないが、今の日本にはそういう人物は存在せず、進むべき方向へ先導してくれる人はいないからだ。自分で取るべき行動を判断しなければならない。


現代人にリベラルアーツが備わってなければ、この先原発事故で生じたような状況に対処できない。
うちの大学のやり方がベストだと言えるかはさておき、リベラルアーツの浸透と深化はこの先人類がうまく生き残って行くために必須。縦割りで科目を区切ってしまう従来の教育だけでは絶対にこの先人類は行き詰まる。

リベラルアーツについてすこしだけ

上では
・あらゆる問題を総合的に判断できて
・狭い視点にとらわれず、幅広い視野で議論し、決断できる
ことが必要だと述べたが、俺が住んでいる寮「和敬塾」は、その2つに加えて
・説得力があり、多様な人々とコミュニケーションできる
・人格的に優れている
・体力的に優れている
というリベラルアーツの他の要素をも身に付けることを趣旨とした教育の場である。
その事は和敬塾の歴史的背景と設立の趣旨
和敬塾について | 東京・目白の男子大学生寮 | 公益財団法人和敬塾
リンク切れてたので、張り直し。微妙に内容変わったかも。
ファイルがみつかりません | 東京・目白の男子大学生寮 | 公益財団法人和敬塾
からも読み取れる。和敬塾リベラルアーツは切っても切れない関係にあると思う。

その後、ハーバード・カレッジは牧師にとどまらず、前述したような政治・行政の分野を始め、様々な場所で活躍できるリーダーを育てる機関に発展していきましたが、この基本コンセプトは、現代まで変わっておりません。
今日、アメリカの他の多くの大学で行われているリベラル・アーツ教育も、基本的には上記のような思想のもとに行われているようです。

http://www.wasedajuku.com/wasemaga/unipro-note/2009/06/post_451.html

ということだが、話に聞くところではこの事はイギリスにおける大学教育にも当てはまるようだ。我が北寮寮長がよくイギリスのcollageについて言及するが、寮長の話しは上のリベラルアーツの記事を読むと説得力が増す。


大きく話が逸れてしまった。

俺が大学生やってるもうひとつの理由

自分が大学でこの専門を選んでいる理由は別なところにもある。雑に言えば、人類の歴史は価値創造の歴史であり、雑に言えば、経済を回して人が豊かな生活を実現するためには新たな価値の創出と、それに付随する職の創出が不可欠。俺は自分が最も得意とする分野でこのことに貢献するべく、今の専門を選んだ。


人類の歴史は価値創造の歴史であるということにピンと来ない人はこちら→お金を儲ける事に遠慮してしまいます。自分でもおかしいと思っ... - Yahoo!知恵袋


今、価値創出に付随して職が生じると書いたけど、必ずしも職が生じないこともある。一部の形態の芸術とかはそういう部類かもしれない。だが、音楽は次第に産業となってレコード会社がどんどんできた例とか、ITの発達によって「速さ」が価値になってエンジニアという職が生じたことを挙げれば、価値創出と職の創出は関連していると言える。


当然、科学技術の進歩によってそれまで必要とされていた職が必要ではなくなり、職が失われてしまうこともあるが、広い目で見るとそれも必要なこと。人間の身体が代謝によって古い細胞を体外に排出するように、経済が回って人々が豊かな暮らしをするためにも、時には何かが失われてしまうことがある。 (場合によっては、この失われゆく職に価値が付くこともある。伝統工芸品の生産業はわかり易い例かもしれない。)
職が失われることがあっても、その傍ら新しい職が生まれていたりする。


古い技術、古い職に価値を見出し、保存しようとする人がいるのも非常に重要なことだが、俺は自分の特性を社会に還元するという意味でも、得意分野で何らかの価値を創造しようとして今の専門を学んでいる。自分の一番得意なところを伸ばしていった末、前人未到の領域に達したとき、誰も見出していない新たな価値があると信じて、東京にきて大学生をやっている。


余談だが、俺は和敬塾に入ったばかりの頃、自己PRをさせられる場で第一声に「私は勉強が好きです」と言った。それほど、興味のあることを追求することが好きであり、得意である。
それから、前人未到の領域に新たな価値があるということだが、当然、価値というものはそれを認める他者がいるから生まれるものでもある。しかし、前人未到の領域に達したとき、そこからは誰も見たことのないような場所から望む景色があるはず。その場所からひと・社会を見たとき、その中に誰も気づいていなかった価値が見つかると思う。そういう意味で、前人未踏の領域に新たな価値があると言っているわけだ。


以上、なんか教科書の片隅のたった2、3行の文から発展した思考であったが、後々見直して自分でも興味深い思考かもしれないと思って、ここに書き記す。
とりあえず、勉強しろ!俺。